アジアの平和 ⑧宗教対立をどう解決するか [平和外交]
新冷戦の脅威を踏まえつつ、アジアひいては世界に平和をもたらすために、日本は何をしたらよいか。前回、インド、パキスタンの分離独立の経緯、印パ戦争、核保有の経緯を述べた。インド、パキスタンの非核化戦略を論ずる前に、いったん、インド、パキスタンから離れて、非核化、安全保障、平和に深くかかわる宗教対立の解決策について考えてみよう。
1.宗教戦争の主な歴史
①十字軍遠征(キリスト教対イスラム教の戦い)
11世紀末から200年間に、ローマ教皇の呼びかけで、キリスト教徒が聖地エルサレムの奪回を目指した、7回にわたる軍事行動。一時は聖地回復に成功したが、結局はイスラム側の反撃で失敗に終わった。
十字軍は回を重ねるごとに、経済、文化の東西交流を通じ14世紀のルネッサンスにつながった。
②宗教改革(キリスト教新旧両派の地域紛争)
1517年、ドイツの修道士ルターが「九十五カ条の論題」を発表したことでローマ・カトリック教会に宗教改革運動が興った。ルターが破門されたことから、同調者がローマ教会とたもとを分かち、プロテスタント教会を作った。その後、プロテスタント(新教)とカトリック(旧教)の対立は激化し、1546~1609年まで、ヨーロッパで争いが絶えなかった。
③三十年戦争(キリスト教新旧両派の国際戦争)
1618~1648年まで、ドイツを中心にヨーロッパ各国が、新旧キリスト教をめぐって戦った。この国際的な三十年戦争の結果、ウエストファリャ条約が締結され、宗教戦争は終わった。
④イスラム教、スンニ派とシーア派の宗教対立
スンニ派のサウジアラビアと、シーア派のイランの対立が激しい。世界のイスラム教徒16億人のうち9割がスンニ派で、残りがシーア派。シーア派を国教とするイランは9割以上がシーア派である。
開祖ムハンマドの後継者争いで、血筋にこだわる派がシーア派、それ以外がスンニ派となった。
宗教心や行事に大差はないのに、対立を引きずっているのはもったいない。
2.宗派間の和解の主な動き
①協会一致運動
20世紀をとおして、「ローマ・カトリック教会」と「ルーテル世界連盟」の間で、「カトリックとプロテスタントでは、どこが同じで、どこが違うのか」をテーマに様々な対話が重ねられてきた。
1999年には歴史的な「義認の教理に関する共同宣言」が両派の間で調印された。これにより、「救い」に関する考え方の相違が克服されたと思われる。
②宗教改革500年、記念行事
1517年、ルターが「九十五ヵ条の論題」を発表してから500年を記念して、2017年にカトリック教会とルーテル教会で合同の記念行事を行った。
③パウロ2世によるユダヤ教の聖地訪問
聖教皇ヨハネ・パウロ2世は、2000年、ユダヤ教の聖地を訪問し、「ユダヤ教は我々の兄である」と宣言し、迫害の歴史を認め反省を表明した。
④米国聖職者、聖地巡礼とピースラリー
2003年、米国のキリスト教徒イスラム教の聖職者がイスラエルを訪問し、イスラエルのユダヤ教聖職者とともに、3宗教の相互理解を深める試みがなされた。中東問題解決の端緒になると思われる。
3.宗教和解の処方箋(筆者提案)
①愛の神を尊び、時代錯誤な古い教え(改宗者は死刑、豚肉食禁止など)はリストラしよう
②信教の自由を最優先とし、政教分離を徹底しよう。中国の最近の宗教介入(イスラム教の中国化)は問題。
③黄金律(人にしてほしいと思うことの,すべてを人々にせよ)を遵守しよう
④宗教対話と宗教教育は和解の近道。特に貧困で出生率に高いイスラム圏では必須。
⑤ローマ法王とペレス氏の会談で出された、「宗教版国際連合提案」を具現化しよう。
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