戦争責任②不平等条約 [戦争責任]
〇1853年、ペリー浦賀に来航
司馬遼太郎の言:日米間の尽きざるゲームは、1853年のペリーショックから始まった。ペリーは捕鯨寄港地を求めて砲艦外交を仕掛けてきた。
〇江戸庶民の川柳:「太平の眠気を覚ます蒸気船たった四杯で夜も寝られず」
●1858年、日米修好通商条約を締結し開国(後で、日本は不平等解消に苦しんだ)
①港の開港(横浜、新潟、神戸、長崎港)
②領事裁判権・治外法権の承認。外国人の横暴が黙認され攘夷思想が激化した。
③関税自主権の欠如(日本に税率決定権なし)。輸出による国内の品不足で物価高騰、輸入による金流出。
➃当時、ロシアの開国要求もあり、結局、露英仏などとも、同様の条約を結ばされた。
〇大老・井伊直弼が、天皇の勅許も得ずに無断で条約を結んだと批判され、批判者を弾圧する安政の大獄が起きた。
出来事・事件 (太平洋戦争を敗戦に導いた事) |
責任度 % |
重要度% |
責任評価点(責任度X重要度÷100) |
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日本 |
相手 |
日 |
中 |
鮮 |
米 |
露 |
英 |
独 |
他 |
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●不平等条約、締結 |
30 |
70 |
10 |
3 |
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4 |
1 |
1 |
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1 |
▲筆者の意見
①アメリカの帝国主義的西進政策の行き着く先は日本で、アメリカの本音は、西欧帝国主義国家に食い荒らされつつあった中国市場への食い込みであった。
②幕府が不平等条約を受け入れたために、その解消のため、無理な苦しい外交が続いた。
③条約は、日本が、世界に一周遅れた帝国主義路線を進むことになった遠因になった。
➃米国領事・ハリスが、英仏の脅威を煽って条約を押し付けたとはいえ、日本にも30%程度の責任があったと思う。
タカ 撮影:鳥好閑人
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