民主化の事例に学ぶ② フィリピン [平和外交]
アジアにおける民主化運動の成功事例として、フィリピンの場合を考察してみよう。
1.フィリピンのエドゥサ革命
マルコス独裁政権下の1983年、アメリカに亡命していたベニグノ・アキノ上院議員が民主化推進のため帰国し、飛行機を降りたとたんに射殺された。
1986年、妻のコラソン・アキノが大統領選に出馬、勝利したように見えたが、なぜか、マルコスの圧勝と発表された。
マルコス大統領は、直後の1986年2月、軍のクーデターと民衆の猛反発を受けて、ハワイに亡命。アジアにおける民主化の先駆けとなるこの政変はエドゥサ革命と呼ばれている。大統領就任から21年、戒厳令布告から14年目の出来事であった。
2.アキノ大統領の民主化政策
クーデター、市民のデモ、アメリカの介入によって政権を獲得した女性のアキノ大統領は、いわゆる「1987年憲法」を制定し、民主主義体制の強化のため、政治参加の拡大、人権保障の確立、司法改革などを行った。
1992年に大統領に就任したラモスは民主化にとって一進一退を繰り返した。
3.エストラーダが大統領と第二人民革命
1998年にエストラーダが大統領に就任したが、任期半ばの2001年、違法賭博献金、不正蓄財疑惑などのスキャンダルがもとで、大統領弾劾裁判が始まった。議員や市民による反大統領集会が開かれ、ついに、政権が崩壊した。第二人民革命と呼ばれている。
以後、大統領はアロヨ、アキノ3世、ドゥテルテへとつながっている。
4.ドゥテルテ大統領の超法規的殺人
ドゥテルテは、犯罪撲滅で国民の人気を集め、2016年6月、大統領に上り詰めた。就任後、警察と自警団を使って、1700人を超える麻薬密売人や麻薬患者を超法規的措置で殺害し、批判に対しては公権力で対抗した。民主政治の不確かさが心配である。
5.フィリピンの民主化に学ぶ
1987年に憲法が大幅に改正されたが、裁判官の独立性が、まだまだ不十分である。例えば、アロヨ大統領は、汚職事件で裁判官が大統領に有利な司法判断を出して、弾劾されたことがある。
大統領の違法な権力行使に対し、抑止する力が弱く、弾劾する側と、弾劾を阻止する側のつばぜりあいで、結局うやむやで終わるケースが多い。
三権分立、特に司法の独立が大きな課題である。
コラム 司法独立のポイント
政治化された従属的司法でなく、独立した司法制度を構築するポイントは下記
①任命権者は国民とする仕組み(国民審査制度など)② 国際司法裁判所の関与強化 ③裁判官・弁護士(家族を含む)の安全保障 ➃ 法執行の立場にある司法から、立法への意見具申
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