戦争責任⑧ 三国干渉 [戦争責任]
●1895年(明治28年)5月 三国干渉(遼東半島を清国に返還)
露独仏の三国は、「下田講和条約」で日本が獲得した遼東半島は過分だとして、清国に返還するよう干渉した。返還要求は、ドイツが言い出してロシアが乗ったとされている。
日本は、直ちに返還に応じたが、西欧列強の思惑を察知して、多めに賠償を取ったと言われている。
〇1898年(明治31年)露清密約
ロシアは、日本が遼東半島を清国に返還したのを受けて、清国から旅順、大連を租借した。しかも、清国に対し、日本の脅威に対する安全を保障する約束を交わした。
出来事・事件 (太平洋戦争を敗戦に導いた事) |
責任度 % |
重要度% |
責任評価点(責任度X重要度÷100) |
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日本 |
相手 |
日 |
中 |
鮮 |
米 |
露 |
英 |
独 |
他 |
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●三国干渉 |
20 |
80 |
10 |
2 |
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5 |
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2 |
1 |
▲筆者のコメント
①日本政府は、三国干渉を見越して、ロシアへの国民の敵意を煽った節がある。国民には、ロシアに対し臥薪嘗胆(恨みを晴らすため我慢する)の気分がみなぎった。
②当時の日本の政治状況は、政府の対外強硬に対し、国民は減税を求めて対立していたが、日清戦争では挙国一致が成立し、対露軍拡が容易になった。
③朝鮮は独立を与えられたが、朝鮮宮廷は逆に親ロシアに舵を切った。親の心子知らず。
フクロウ 撮影:鳥好閑人さん
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