戦争責任⑬ 日韓併合 [戦争責任]
〇朝鮮半島の情勢
14世紀末に成立した李氏朝鮮は、中華帝国に冊封された属国であった。宗主国である清国への忠誠が強い半面、日本への侮蔑意識が高かった。朝鮮は清国の衰退を見越して1897年に国号を大韓帝国に改めたが、独立には遠く、宗主国をロシアに乗り換えただけであった。
〇1904年2月 日韓議定書
日露戦争の直前、日本は戦争の準備のため、韓国と日韓議定書を交わした。軍事行動の自由の保障を取り付けたが、ロシア軍はまだ駐留していた。
〇1904年8月 第一次日韓協約
韓国に日本人の財政、外交顧問を置き、外交案件の事前協議を約束した。
〇1905年11月 第二次日韓協約
皇帝・高宗の排日策動を抑えるため、韓国の外交権を接収し、漢城に総督府を設置した。
〇1907年7月 第三次日韓協約
皇帝・高宗の策動がやまないため、韓国から内政権を接収し、韓国の軍隊を解散させ保護国とした。
●1910年8月 日韓併合条約
植民地化に反対していた伊藤博文が、奉天で1909年に安重根により暗殺されたこともあって、日本は韓国を植民地とし、朝鮮総督府を設置した。なお、欧米諸国への根回しはされていたようだ。
〇日本統治時代(1910~1945)の韓国
日本は、40校くらいしかなかった学校を、30年間に、1千校以上に増やした。苦しい財政事情の中で公共事業も本土並みに実施した。
ロシアの属国にされることを考えたら、日本統治時代は良かったなどの声がある半面、威張り腐る日本人もいたようだ。
出来事・事件 (太平洋戦争を敗戦に導いた事) |
責任度 % |
重要度% |
責任評価点(責任度X重要度÷100) |
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日本 |
相手 |
日 |
中 |
鮮 |
米 |
露 |
英 |
独 |
他 |
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● 日韓併合 |
60 |
40 |
30 |
18 |
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12 |
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▲筆者のコメント
①スタンフォード大のマーク・ピーティー先生によると、近代植民地帝国と違って、日本の植民地は単なるエゴではなく、戦略的利益に合致するよう、安全保障上の慎重な配慮により領有されたという。
②日本は、日清戦争時には「朝鮮半島の独立」を戦争目的に掲げたが、日露戦争時には「保全」に、日韓併合条約では「植民地」にしてしまった。
③日韓併合はどんな善行を積んでも、また、どう説明しても今の韓国人の理解は得られないと思う。
カンムリワシ 撮影:鳥好閑人さん
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