戦争責任⑮ 第一次世界大戦に日本参戦 [戦争責任]
〇1914年7月、第一次世界大戦の勃発
1914年6月、セルビアの民族主義者が、ボスニアの州都サラエボで、オーストリアの皇太子夫妻を暗殺する事件が発生した。オーストリアがセルビアに宣戦布告、つづいてドイツ、ロシア、フランス、イギリスが参戦した。イタリアは翌年、同盟側であるドイツ・オーストリアから離れて、ロシア、フランス、イギリスの協商側についた。
●1914年8月、第一次世界大戦に日本参戦
日本は日英同盟を理由に、加藤孝明外相主導で宣戦布告をし、ドイツの中国拠点である青島&膠済線や、ドイツ領南洋諸島を占領した。その後日本は、地理的優位もあって、輸出が増大し工業生産は5倍に増えた。
〇1917年4月、アメリカの参戦
ドイツ潜水艦の乱暴な作戦などに怒って、参戦し協商側を助けた。
〇1917年11月、ロシア革命
政変でソビエト政権が成立、1918年3月、ドイツと単独講和をした。
〇1918年11月、第一次世界大戦の終戦
ドイツに革命がおこり、皇帝ヴィルヘルムⅡ世が退位し、戦争が終わった。世界50か国が参戦した大戦に、7千万人以上の軍人が動員され、死亡者は戦闘員9百万人、非戦闘員7百万人に上った。
この戦争で、ロシア・ロマノフ王朝、ドイツ帝国(ヴィルヘルムⅡ世)、オーストリア・ハプスブルグ帝国の三つの王朝が崩壊した。
〇1919年6月、パリ講和会議
ベルサイユ条約が結ばれ、ドイツに対し高額な賠償金などの厳しい制裁を課し、ドイツ植民地帝国の領土が戦勝国の間で分割され、これが次の世界大戦の伏線となった。
一方、民族運動や労働運動が活発になり、ヨーロッパの世界支配は揺らいで、アメリカと日本が台頭してきた。
〇1920年1月、国際連盟成立
米大統領ウイルソンの平和原則14か条の趣旨を尊重して、国際連盟規約が合意された。十四か条のうち主要5か条は、講和の透明性、海洋の自由、関税障壁の撤廃、軍備縮小、植民地の公平な処置であった。
日本が主張した「人種平等の原則」は否決された。皮肉にもアメリカは議会の反対で国際連盟に加盟しなかった。
出来事・事件 (太平洋戦争を敗戦に導いた事) |
責任度 % |
重要度% |
責任評価点(責任度X重要度÷100) |
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日本 |
相手 |
日 |
中 |
鮮 |
米 |
露 |
英 |
独 |
他 |
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●第一次世界大戦に日本参戦 |
20 |
80 |
20 |
4 |
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2 |
2 |
2 |
8 |
2 |
▲筆者のコメント
①青島&膠済線(青島―済南)の占領は、パリ講和会議でおおいにもめた。米国は即返還を主張し、日本は適当な時期に中国に返還すると約束させられた。
②南洋諸島占領は、ぎくしゃくする米国への備えの意図があったと思われる。
③日本はアジアのドイツ植民地を火事場泥棒的に手に入れたことで、帝国主義を強め次の戦争の芽を育てたと思う。
➃世界初の総力戦の恐ろしさが分かったはずなのに、第二次世界大戦を回避できなかった人類の責任は重い。
オオミズナギドリ 撮影:鳥好閑人さん
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