戦争責任⑯ 対華21か条要求 [戦争責任]
〇1911~2年 辛亥革命
1899年の義和団事件の結果、日本をはじめ西欧各国の軍が駐留し、清国の半植民地化が進んだ。清朝(満州族)の支配に不満を持つ漢民族の不満が爆発し四川省で暴動が起こり、清国軍の革命派がこれに呼応した。
革命の動きは全国に拡大し、南京で1912年1月1日孫文を臨時大統領とする「中華民国臨時政府」が成立した。清国軍を率いた袁世凱が孫文と取引をして、皇帝・溥儀を退位させ自身が大統領に就き、皇帝の位まで望んだが志半ばで死去した。その後軍閥が跋扈し中国の政情は安定しなかった。
●1915年1月 対華21か条要求
第一次世界大戦のさなか、日本が中華民国(中国)に対して21個の要求をした。主要な5個は下記。
①ドイツ権益(青島、南洋諸島)の継承を日本に認める
②関東州と南満州鉄道の権益の99年間延長&南満州と東部内蒙古の解放
③漢冶蓱公司(製鉄会社)の日支合弁に関する要求
➃中国沿岸の港湾や島々を他国へ割譲しないこと(日本占有)
⑤中国権益(警察・兵器製造・鉄道の支配権)の譲渡(この項は列強の苦情で削除)
中国は日本の要求に抗するすべがなく受け入れたが、中国国民は屈辱を感じ、反日デモを起こした。西欧諸国は日本が大戦に参加してアジアからドイツを追い払った見返りにこれを容認した。
出来事・事件 (太平洋戦争を敗戦に導いた事) |
責任度 % |
重要度% |
責任評価点(責任度X重要度÷100) |
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日本 |
相手 |
日 |
中 |
鮮 |
米 |
露 |
英 |
独 |
他 |
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● 対華21か条要求 |
80 |
20 |
30 |
24 |
6 |
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▲筆者のコメント
①対華21か条要求が中国国民を怒らせたのは確か。日本が、交渉相手である袁世凱の国内掌握術に乗せられた意味もある。
②対華21か条要求を西欧諸国はしぶしぶ認めたが、米国は不満を持ったようだ。黄色い猿め、と。
ヤマドリ 撮影:鳥好閑人さん
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