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戦争責任⑰ シベリア出兵 [戦争責任]

191710月、ロシア革命
  1905年の第一次ロシア革命に続き、19172月、世界大戦への反戦と平和を訴える大規模な暴動が全国に広がり、軍隊も反乱を起こした。皇帝ニコライ二世は捕らえられロマノフ朝が倒れた(2月革命)。
市民を中心とする臨時政府ができたが、海外から社会主義者が帰国して、レーニン指揮のボリシェヴィキが臨時政府を倒してプロレタリア独裁のソビエト政権を樹立した(10月革命)。
ソビエト政権は、19183月、世界大戦の敵国・ドイツと単独講和をした。


1918年、シベリア出兵
 第一次世界大戦の連合国が「ロシア革命軍に包囲されたチェコ軍団を救出する」を名目にシベリアに共同出兵した。これはロシア革命に対する干渉戦争の一つである。
 日本はウラジオストック上陸以来、増兵を繰り返し、連合国の協定を大きく超える7.3万人を派兵した。1919年秋にロシア帝国政権が崩壊し、チェコ軍団は救出されて出兵の名目がなくなり、欧米の軍隊が撤兵した後も日本軍は192210月まで駐留を続けた。


  出来事・事件

(太平洋戦争を敗戦に導いた事)

責任度 %

重要度%

責任評価点(責任度X重要度÷100

日本

相手

  シベリア出兵

60

40

20

12

 

 

4

4

 

 

 



▲筆者のコメント


①シベリア出兵は、日本外交史上最も失敗した外交といわれている。首相は平民宰相といわれた原敬。


②原敬内閣は、出兵目的をチェコ軍団救出から、朝鮮、満州の防衛に変更して駐留を継続したことで、日米関係を悪化させ、日ソ国交回復の妨げになった。


③シベリア出兵で、日本は3500名の死傷者、10億円の戦費を費やした。一方、ソビエト・ロシアは死傷者8万人、戦費6億ルーブルとされている。


鳥62キジ.png


                  キジ 撮影:鳥好閑人さん


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