戦争責任⑲ ワシントン会議 [戦争責任]
●1921年、ワシントン会議
第一次世界大戦後、米大統領ハーディングの提唱により、ワシントンで行われた国際軍縮会議。会議後、ワシントン体制というアジア太平洋地域の新秩序が出来上がった。
会議の背景にあったのは、戦後の不景気で各国とも軍事費の負担に苦しんでいたこと、日本の中国進出に歯止めをかけること、アメリカが中国市場の門戸開放を望んだこと、日本海軍の拡大を阻止することであった。
内容としては、下記3つの条約が締結された。
①四か国条約
日英米仏の太平洋における領土争いを禁止する条約で、引き換えに日英同盟が破棄された。日本にとって日英同盟は宝物であった。同盟破棄によって日本は孤立を深め、20年後日米戦争に突入してしまった。中身の空っぽな四か国条約の代償は大きかった。
②ワシントン海軍軍縮条約
主力艦保有比率が米10、英10、日6、仏伊3.34と決められた。日本は7を主張したが叶えられなかった。
③九か国条約
中国大陸における門戸開放・機会均等の原則と、中国の主権尊重を決定した条約。日英米仏伊のほか、中国、ベルギー、オランダ、ポルトガルの9か国が締結した。
日本の中国における特殊地位は否認され、第一次世界大戦参戦で占領した山東の中国への返還が決定された。
出来事・事件 (太平洋戦争を敗戦に導いた事) |
責任度 % |
重要度% |
責任評価点(責任度X重要度÷100) |
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日本 |
相手 |
日 |
中 |
鮮 |
米 |
露 |
英 |
独 |
他 |
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● ワシントン会議 |
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100 |
30 |
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20 |
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10 |
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▲筆者のコメント
①日本は、第一次世界大戦の好景気の反動不況により緊縮財政と軍事費削減が必要であった。民意もあって、あっさりと条約に署名した。幣原喜重郎外相の主導で、いわゆる幣原協調外交を展開した。
②国内では、対華21か条要求やシベリア出兵などの強硬政策は不評であった。いわゆる大正デモクラシーの真っ最中で、軍縮は歓迎された。
ソリハシシギ 撮影:鳥好閑人さん
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