戦争責任㉑ 統帥権奸犯 [戦争責任]
〇1929年、世界恐慌
アメリカ発の世界恐慌で世界中が不況にあえぐ中、日本でも銀行の取り付け騒ぎ、休業、倒産が相次いだ。翌年、蔵相に復帰した高橋是清が、支払い猶予令を発し、紙幣を大増刷し、金輸出再禁止をして事態を収拾した。しかし、世界は経済のブロック化が急速に進行し、日本などの資源にお恵まれない国の経済は困窮を極めた。
〇1930年、ロンドン海軍軍縮条約の批准
1922年のワシントン会議で主力艦の軍縮はなったが、巡洋艦・駆逐艦などの建艦競争が進んだので、ロンドンで軍縮交渉がなされた。日本は、英米の7割近いトン数を獲得できたので批准した。
●1930年、統帥権奸犯
統帥権奸犯とは、天皇の統帥権(実際は軍部の実権)を侵害したとして、政府が糾弾された下記の問題である。
①統帥権は、陸海軍の指揮監督権で、軍部のトップが持つが、明治憲法第11条(天皇は陸海軍を統帥す)で統帥権は天皇大権の一つとされていた。天皇と軍部が直結し、政府は蚊帳の外におかれた。結果、政府は軍部を統制できなくなった。
②ロンドン海軍軍縮条約の批准をした当時の首相・浜口雄幸が、野党と軍部によって糾弾された。浜口首相が東京駅で襲撃され死亡したのは、この問題に不満を持つ軍部や右翼の仕業である。
③ここから軍部の独裁、暴走が始まり、軍国主義化が進んだ。
〇1931年3月、全日本愛国者共同闘争協議会
右翼社会主義思想を唱えた北一輝が、著書「国体論及び純正社会主義」を刊行した。これに共鳴する分子が、1931年3月に「全日本愛国者共同闘争協議会」という連合体を作った。
綱領は、亡国政治(政党政治)の覆滅、天皇親政実現、財閥打倒、階級対立克服により、右翼社会主義を実現すること。
不況による農者村の窮乏、娘の身売りなどに義憤を感じていた青年将校たちに浸透した。
出来事・事件 (太平洋戦争を敗戦に導いた事) |
責任度 % |
重要度% |
責任評価点(責任度X重要度÷100) |
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日本 |
相手 |
日 |
中 |
鮮 |
米 |
露 |
英 |
独 |
他 |
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● 統帥権奸犯 |
100 |
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30 |
30 |
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▲筆者のコメント
①天皇主権を定めた大日本帝国憲法には欠陥があったが、山県有朋などの明治の元勲たちが防波堤になっていた。彼らが亡くなると、その欠陥を軍部に利用され、天皇はだしに使われてしまった。
②当時の政党は堕落していたが、浜口首相の暗殺を一つの契機に、政党政治が消滅したのは日本の不幸だった。
アオサギ 撮影:鳥好閑人さん
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