戦争責任㉓ 五・一五事件 [戦争責任]
〇1931年12月、犬養毅内閣組閣
12月13日、政友会の犬養内閣が成立した。高橋是清蔵相は、金輸出再禁止を断行し、デフレ不況から脱出して世界で一番に景気回復を達成した。
〇1932年1月、第一次上海事変発生
中華民国の排日暴動を鎮圧するため陸海軍が出動し、中華民国軍を撃破、5月には停戦協定を締結した。事変の経緯は、日本軍部が中国人を買収し、日蓮宗の日本人托鉢僧を襲わせたことで衝突が始まった。満州事変への国際社会の注目をそらし、抗日運動を弾圧する狙いがあった。
〇1932年3月、満州国建国
清朝最後の皇帝である愛新覚羅溥儀が執政となり満州国が建国された。「五族協和」の理想を掲げたが、犬養首相は国際社会の反感を考慮して、国として承認しなかった。世情は騒然とし、天皇暗殺未遂事件や、要人暗殺の血盟団事件が横行した。
●1932年5月、五・一五事件
5月15日、三上卓海軍中尉らが首相官邸に乱入し、「話せばわかる」という犬養を「問答無用」と射殺した。長い不況ですさんだ国民は、この暗殺を賛美した。
政党や財閥の腐敗に怒った世論が期待したのは青年将校たちで、荒木貞夫陸相と真崎甚三郎参謀次長を中心にいわゆる皇道派が結成され、「軍部独裁」の機運が盛り上がった。
出来事・事件 (太平洋戦争を敗戦に導いた事) |
責任度 % |
重要度% |
責任評価点(責任度X重要度÷100) |
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日本 |
相手 |
日 |
中 |
鮮 |
米 |
露 |
英 |
独 |
他 |
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● 五・一五事件 |
100 |
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20 |
20 |
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▲筆者のコメント
①五・一五事件の被告たちは、比較的軽い刑罰で済んだ。将校たちは執行猶予付きの刑、陸軍士官学校生は禁固4年で、かなり軽いものであった。軍以外の在野の共犯者は無期懲役の重い刑を課された。
②全国に減刑嘆願運動が興り、嘆願書は百万通を超えた。詰めた指をホルマリン漬けにした瓶が法廷に届けられる騒ぎもあった。
③テロが肯定されファシズムが横行する世情で、被害者のはずの犬養家にお米を売らないという業者まで現れた。
カワセミ 撮影:鳥好閑人さん
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