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戦争責任㉝ 沖縄戦 [戦争責任]

〇神風特別攻撃隊


 特別攻撃隊(特攻隊)は生還を期さず、敵艦に体当たり攻撃をする航空隊である。194410月、フィリッピンにおいて第一航空艦隊の命令で出撃したのが最初で、米軍の護衛空母軍に大きな損害を与えた。以後、特攻攻撃は日本軍の主要戦法となった。


〇「桜花」、「剣」


 沖縄攻防戦の時期から、飛行機から発進する体当たり専用の小型グライダーの「桜花」や、大量生産された体当たり専用航空機の「剣」が使われた。大多数は米軍のレーダーにとらえられて戦果は上がらなかった。


〇海上特攻


 潜水艦の甲板から発進して敵艦に体当たりする人間魚雷「回天」は、194411月、カロリン諸島の戦闘で初めて使われた海上特攻である。19454月、片道の燃料を積んで沖縄戦に出撃し、撃沈された戦艦大和の場合も海上特攻であった。


〇海軍の「菊水作戦」と陸軍の「航空総特攻」


 19454月の沖縄戦に、九州・台湾の基地から参加した特攻の名称である。反撃力の弱い敵駆逐艦に損害を与えた。米軍の対策が強化されると効果は減少したが、軍の面子と惰性で特攻は続いた。


 特攻は原則志願制であったが、一億特攻、一億玉砕という空気に逆らえなかった。指揮官たちは卑怯にも戦後生き残り、特攻隊員を神聖化し、自己の無能・無責任を隠そうとした。 


●沖縄戦


 1945323日、沖縄に対する本格的な空襲が始まった。艦載機1600機、砲弾40000発に上ったという。地上戦は45日から開始され6万人の米兵らが押し寄せた。その日のうちに読谷飛行場と嘉手納飛行場が占領された。最後まで残った首里城周辺も621日には平定された。


 出来事・事件

(太平洋戦争を敗戦に導いた事)

責任度 %

重要度%

責任評価点(責任度X重要度÷100

日本

相手

  ● 沖縄戦

100

 

50

50

 

 

 

 

 

 

 


 


〇沖縄戦の死者数


 沖縄戦による死者・行方不明者は日本側188,136人、アメリカと連合国側20,195人とされている。女子学生の「ひめゆり部隊」が240人動員されて看護にあたったが、最終的には136名が戦死したとされている。 


 ▲筆者のコメント

①沖縄戦は本土決戦準備のための備えをする意味を与えられたが、多くの少年兵が動員され無残な最期を遂げたのは残念でたまらない。なんともやりきれない思いが残る。

丸山真男は、責任の所在があいまいな体制によって太平洋戦争が引き起こされたと批判した。権力者と国民が、互いに煽り煽られて究極の無責任体制に突っ込んでしまったと思う。沖縄戦はその象徴である。大反省が必要。

鳥89チゴモズ.png

      チゴモズ 撮影:鳥好閑人さん


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