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戦争責任㊱ 戦争責任評価表の掲載  [戦争責任]

 当ブログでは、1853年のペリー来航から、1945年の敗戦までの事件を取り上げ、日本と相手国の事件ごとの責任評価点を下記一覧表のように算出してみた。

 

 満州事変から続く15年間の戦争に対する見方には、一般に、自虐史観と歴史修正主義と呼ばれる歴史観がある。

自虐史観は、歴史の負の部分をことさらに強調して、日本を貶めていると批判する際に用いられる。筆者は原稿を書く際に、右からも左からも考えたつもりだが、投稿を読んで自虐史観と感じる読者がいることは覚悟している。

 

 一方、歴史修正主義は、一般的な歴史認識とは異なる解釈を主張する言論に用いられる。太平洋戦争を大東亜戦争と呼び変え、アジアを開放した戦争、あるいは自衛戦争であったと主張する。確かにそういう要素があるのは事実だが、大陸に攻め入って蛮勇をふるったのも事実である。要はウエイトの問題である。

 

戦争責任を考える際に大事なことは、後世の国民が同じ過ちを繰り返さないことである。将来の国の進路を間違えないようにするために、戦争責任の評価を厳しめにする意味はあると思う。

 読者の皆さんのお考えをコメントしていただきたい。表をクリックすると拡大できます。

 

▲筆者のコメント

①戦時中の事件・出来事については、真珠湾攻撃、ミッドウエー海戦、ガダルカナル島の戦い、沖縄戦、原爆投下に絞って戦争責任の評価を算定した。開戦責任、終戦工作不作為の責任が大きいと考えて取り上げた。 

➁戦場は、上記以外にも、マレー沖海戦、アッツ島玉砕、インパール作戦、サイパン島の戦い、マリアナ沖海戦、グアム島玉砕、ペリリュウ島の戦い、レイテ沖開戦、ルソン島の戦い、硫黄島の戦いなどがある。終戦に持ち込むチャンスはいくらでもあったはずである。

③筆者は、長兄をペリリュウ島の戦いで亡くした。194410月、米軍に一度奪われたペリリュウ島に、日本守備隊支援のため逆上陸を仕掛け、地獄のような戦闘で死亡したと聞いている。1127日にはわずかな守備隊も、生き残った逆上陸隊員も全員玉砕した。

④戦死者は、靖国で会って祀られていると聞かされているが、筆者は信じない。靖国は戦争推進の装置であった。きっと故郷に帰って父母と一緒に眠っているに違いない。

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            イソヒヨドリ 撮影:鳥好閑人さん


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