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戦争責任㉛ ミッドウエー海戦 [戦争責任]

● ミッドウエー海戦


 194265日、ミッドウエー島付近で起こった日本海軍とアメリカ海軍の戦いである。日本海軍は、山本五十六率いる戦艦大和をはじめ主力部隊で臨んだ。日本が優位に見えたが、アメリカは「暗号解読」という技術を使って無線を傍受し攻撃を事前に把握して迎撃準備を整えていた。


 失敗も重なって日本海軍は敗戦、主力空母4隻のほか多くの航空艦載機を失った。アメリカから急降下爆撃を受けた際、折悪しく友軍機が魚雷を積んで飛び立つ5分前で間に合わなかった。


 この海戦は、第二次世界大戦の主導権をアメリカに奪われた、ターニングポイントの戦いとなってしまった。


 出来事・事件

(太平洋戦争を敗戦に導いた事)

責任度 %

重要度%

責任評価点(責任度X重要度÷100

日本

相手

  ミッドウエー海戦

100

 

40

40

 

 

 

 

 

 

 


 


▲筆者のコメント  


①作戦目標が、ミッドウエー島攻略化か、敵機動部隊の撃滅かはっきりしなかった。軍令部は前者、連合艦隊首脳は後者を主張した。作戦期日も軍令部から2-3週間遅らせるよう勧告したが連合艦隊はこれに応じなかった。そのうえ最前線の第一航空艦隊には目標周知不徹底であった。

➁山本五十六司令長官は、実戦では、アリュシャン方面に艦隊の一部をさくと同時に、航空兵力の半分をミッドウエー島の攻撃に振り向け、空母の護衛が手薄になった。

③日本は、アメリカに暗号解読の技術で負けてしまって、作戦を立てにくくなっていた。

④開戦から半年たって日米の力の差がはっきりした。早いこと「負けました」と宣言して捲土重来を期したほうがよかった。

鳥87ハクセキレイ.png

    ハクセキレイ 撮影:鳥好閑人さん


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戦争責任㉜ ガダルカナル島の戦い [戦争責任]

● ガダルカナル島の戦い


 ガダルカナル島の戦いとは、19428月から翌年2月まで西太平洋のソロモン諸島にあるガダルカナル島で繰り広げられた戦いである。日本はこの戦いで兵員、軍艦、航空機、燃料等をたくさん消耗し、国力を大きく減らした。


 ミッドウエー海戦で空母4隻を失ってしまったため、ガダルカナル島に飛行場を作ることにし、85日に第一期工事が完成した。


 2日後アメリカ軍は8000名の戦力で攻撃を開始、飛行場も占領された。ここから日本は支援隊を小刻みに繰り出し、補給のないまま死闘を繰り返した。まさに餓島である。結局19432月に撤退したが、負傷者は自決させられた。


   


 出来事・事件

(太平洋戦争を敗戦に導いた事)

責任度 %

重要度%

責任評価点(責任度X重要度÷100

日本

相手

  ● ガダルカナル島の戦い

100

 

50

50

 

 

 

 

 

 

 


 


▲筆者のコメント  


①補給もないまま、持久戦を戦うことがいかに無謀なことか分ろうとしない。参謀本部の連中も精神論だけを振り回して、もうすでに破綻してしまっていた。

➁将兵の環境対応は立派であった。しかし、一度しかない人生を無駄になくしてしまったのは、本当に気の毒であった。

③退却を転進、戦死を散華、全滅を玉砕、戦死者を軍神と言い換えて、事態を隠ぺいする大本営や参謀本部などの軍部の体たらくは目に余る。

鳥88オオカラモズ.png

         オオカラモズ 撮影:鳥好閑人さん



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戦争責任㉝ 沖縄戦 [戦争責任]

〇神風特別攻撃隊


 特別攻撃隊(特攻隊)は生還を期さず、敵艦に体当たり攻撃をする航空隊である。194410月、フィリッピンにおいて第一航空艦隊の命令で出撃したのが最初で、米軍の護衛空母軍に大きな損害を与えた。以後、特攻攻撃は日本軍の主要戦法となった。


〇「桜花」、「剣」


 沖縄攻防戦の時期から、飛行機から発進する体当たり専用の小型グライダーの「桜花」や、大量生産された体当たり専用航空機の「剣」が使われた。大多数は米軍のレーダーにとらえられて戦果は上がらなかった。


〇海上特攻


 潜水艦の甲板から発進して敵艦に体当たりする人間魚雷「回天」は、194411月、カロリン諸島の戦闘で初めて使われた海上特攻である。19454月、片道の燃料を積んで沖縄戦に出撃し、撃沈された戦艦大和の場合も海上特攻であった。


〇海軍の「菊水作戦」と陸軍の「航空総特攻」


 19454月の沖縄戦に、九州・台湾の基地から参加した特攻の名称である。反撃力の弱い敵駆逐艦に損害を与えた。米軍の対策が強化されると効果は減少したが、軍の面子と惰性で特攻は続いた。


 特攻は原則志願制であったが、一億特攻、一億玉砕という空気に逆らえなかった。指揮官たちは卑怯にも戦後生き残り、特攻隊員を神聖化し、自己の無能・無責任を隠そうとした。 


●沖縄戦


 1945323日、沖縄に対する本格的な空襲が始まった。艦載機1600機、砲弾40000発に上ったという。地上戦は45日から開始され6万人の米兵らが押し寄せた。その日のうちに読谷飛行場と嘉手納飛行場が占領された。最後まで残った首里城周辺も621日には平定された。


 出来事・事件

(太平洋戦争を敗戦に導いた事)

責任度 %

重要度%

責任評価点(責任度X重要度÷100

日本

相手

  ● 沖縄戦

100

 

50

50

 

 

 

 

 

 

 


 


〇沖縄戦の死者数


 沖縄戦による死者・行方不明者は日本側188,136人、アメリカと連合国側20,195人とされている。女子学生の「ひめゆり部隊」が240人動員されて看護にあたったが、最終的には136名が戦死したとされている。 


 ▲筆者のコメント

①沖縄戦は本土決戦準備のための備えをする意味を与えられたが、多くの少年兵が動員され無残な最期を遂げたのは残念でたまらない。なんともやりきれない思いが残る。

丸山真男は、責任の所在があいまいな体制によって太平洋戦争が引き起こされたと批判した。権力者と国民が、互いに煽り煽られて究極の無責任体制に突っ込んでしまったと思う。沖縄戦はその象徴である。大反省が必要。

鳥89チゴモズ.png

      チゴモズ 撮影:鳥好閑人さん


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戦争責任㉞ 原爆投下 [戦争責任]

● 原爆投下

 194586日午前815分、世界で初めて原子爆弾が広島に落とされた。次いで、8月9日午前112分長崎市上空で原爆がさく裂した。

 2発の原爆による死亡者数は、20198月時点で、広島319000人、長崎183000人で合わせると50万人を超える。

〇 アメリカが主張する「原爆を落とした理由」

 本土決戦になれば多くのアメリカ兵に犠牲者が出る。戦争を早く終わらせるために原爆投下が必要だと主張する。

 しかし、日本は広島長崎のほかにも、100を超える都市が無差別爆撃にさらされており、戦争を続ける力は残っていなかった。アメリカの軍人の中にも「原爆を落とさなくても日本は降伏していた」と考える人も多くいた。

〇日本はなぜ原爆を落とされる前に降伏しなかったか。

 連合国は「無条件降伏」を求めた。日本は天皇制を維持する「国体護持」の条件を付けて降伏したかった。天皇が戦犯として裁かれたり、天皇制が廃止されたりするのを防ぐためである。

 しかし、トルーマン大統領はそれを受け入れなかった。

  

 出来事・事件

(太平洋戦争を敗戦に導いた事)

責任度 %

重要度%

責任評価点(責任度X重要度÷100

日本

相手

  ● 原爆投下

 

100

100

 

 

 

100

 

 

 

 

 

▲筆者のコメント 

①アメリカのトルーマン大統領は、人道上許されない大量無差別虐殺をやった。

➁降服が遅れたのは、ソ連の斡旋にバカみたいな期待を抱いたからである。日ソ中立条約を結んでいたソ連は、そのときすでに日本を一蹴して満州を分捕ろうと狙っていた。スターリンは腹の中で笑っていたに違いない。悔しい。

③広島で被爆し最近亡くなった坪井直さんの証言によると、トラックで救助に来た軍人が「乗れるのは若い男性だけ。その他の者は後回し」と叫んだという。戦争家の罪深さに慄然とする。

鳥91モズ.png

                 モズ  撮影:鳥好閑人さん 


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戦争責任㉟ 戦争責任評価点 [戦争責任]

日本は1945年に、太平洋戦争に負けてポツダム宣言を受諾し、無条件降伏した。連合国に占領され、東京裁判で裁かれ、A級戦犯7人が処刑された。東京裁判は、戦勝国の一方的な裁判で、被告・日本の訴えはすべて無視された。


ところが、戦後75年が経過したが、いまだに、国内で「戦争責任」につて、だれに、どのような責任があったかを糺すことをしなかった。


 後世の国民が、再び同じ過ちを繰り返さないためにも、国民の名において、戦争と敗戦の責任を明確にしなければいけないと思う。


 当ブログでは、1853年のペリー来航から、1945年の敗戦までの33件の事件を取り上げた。そして、下記コラム記載の定義に基づいて、日本と相手国の事件ごとの責任評価点を下表のように算出してみた。


 


総括表

 

日本

中国

朝鮮

米国

露国

英国

ドイツ

その他

合計

太平洋戦争を敗戦に導いた責任

評価点計

590

52

27

203

32

18

18

6

946

100分比

62.4

5.5

2.9

21.5

3.4

1.9

1.9

0.6

100


 


▲筆者のコメント


①太平洋戦争を開始し敗戦に導いた責任を、関連する事件・出来事33件を対象に評価したところ、責任度は日本62.4%、米国21.5%・・・となった。これは筆者の独断で算定したものです。


➁次回の当ブログで、事件・出来事33件の一覧表を掲示する予定。戦争責任は、ゼロか100かの問題ではありません。読者の皆さんも考えて、コメントをいただきたいと思います。


③政府・軍部は1945年初頭から、本土決戦の準備を進め、「帝国陸海軍作戦大綱」を決定し、240万人の防衛隊を目標に、男子根こそぎ動員により国民義勇隊を組織しようとした。この間、内心はともかく本土決戦に反対する日本人はいなかった。


鳥92カササギ.png

               カササギ 撮影:鳥好閑人さん


 


コラム 戦争責任の定義


1.連合国に対する戦争責任 


相手国への戦争責任は、国際的規定に則って、講和条約、裁判、断罪、補償、賠償、謝罪などの段階を踏んで問われる。


しかし、東京裁判は、戦争の国際的規定(ハーグ陸戦規定)になかった「平和に対する罪」などで裁いた、いわば復讐劇のような裁判であった。


2.日本の自国民に対する戦争責任 


①戦争責任を問う時期により、開戦時責任、戦時中責任、終戦時責任が問われる。


②戦争責任の内容として、犯罪(故意)、過誤(ミス)、不作為(怠慢)のほかに、刑事的、道徳的、政治的、外交的な責任が問われる。


③戦争責任の対象者は、戦争指導者、政治家、学者、マスコミである。一般庶民も、乗せられて煽った分、責任なしとは言えない。


 ④天皇陛下の戦争責任:当時の帝国憲法では、天皇は立憲君主で軍隊の統帥権を持っていた。しかし、天皇がご裁断を下したのは、2.26事件の首謀者への厳罰命令と、終戦時のポツダム宣言受諾の二件しかなかったという。


昭和天皇は、マッカーサーとの初会見で、「責任はすべて自分にある」と発言したが、東京裁判でキーナン検事が「天皇に戦争責任なし」と宣言し、今日まで受け入れられてきた。


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戦争責任㊱ 戦争責任評価表の掲載  [戦争責任]

 当ブログでは、1853年のペリー来航から、1945年の敗戦までの事件を取り上げ、日本と相手国の事件ごとの責任評価点を下記一覧表のように算出してみた。

 

 満州事変から続く15年間の戦争に対する見方には、一般に、自虐史観と歴史修正主義と呼ばれる歴史観がある。

自虐史観は、歴史の負の部分をことさらに強調して、日本を貶めていると批判する際に用いられる。筆者は原稿を書く際に、右からも左からも考えたつもりだが、投稿を読んで自虐史観と感じる読者がいることは覚悟している。

 

 一方、歴史修正主義は、一般的な歴史認識とは異なる解釈を主張する言論に用いられる。太平洋戦争を大東亜戦争と呼び変え、アジアを開放した戦争、あるいは自衛戦争であったと主張する。確かにそういう要素があるのは事実だが、大陸に攻め入って蛮勇をふるったのも事実である。要はウエイトの問題である。

 

戦争責任を考える際に大事なことは、後世の国民が同じ過ちを繰り返さないことである。将来の国の進路を間違えないようにするために、戦争責任の評価を厳しめにする意味はあると思う。

 読者の皆さんのお考えをコメントしていただきたい。表をクリックすると拡大できます。

 

▲筆者のコメント

①戦時中の事件・出来事については、真珠湾攻撃、ミッドウエー海戦、ガダルカナル島の戦い、沖縄戦、原爆投下に絞って戦争責任の評価を算定した。開戦責任、終戦工作不作為の責任が大きいと考えて取り上げた。 

➁戦場は、上記以外にも、マレー沖海戦、アッツ島玉砕、インパール作戦、サイパン島の戦い、マリアナ沖海戦、グアム島玉砕、ペリリュウ島の戦い、レイテ沖開戦、ルソン島の戦い、硫黄島の戦いなどがある。終戦に持ち込むチャンスはいくらでもあったはずである。

③筆者は、長兄をペリリュウ島の戦いで亡くした。194410月、米軍に一度奪われたペリリュウ島に、日本守備隊支援のため逆上陸を仕掛け、地獄のような戦闘で死亡したと聞いている。1127日にはわずかな守備隊も、生き残った逆上陸隊員も全員玉砕した。

④戦死者は、靖国で会って祀られていると聞かされているが、筆者は信じない。靖国は戦争推進の装置であった。きっと故郷に帰って父母と一緒に眠っているに違いない。

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鳥93イソヒヨドリ.png

            イソヒヨドリ 撮影:鳥好閑人さん


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